JUNNOSUKE HARA

膜の内に–––– 膜の外に––––

Installation, 2018

3D printed abs, inkjet print, back paper, monitor, raspberryPi

日常化したインターネットにより、私たちは、自分自身の肉眼で見ることではなく、他者の写真を通して周囲の動向を捉えることが自然になっている。そうした中で私たちを取り巻き包み込んでいるもの、私たちの中に内包されているもの、また私自身を、私は「膜」と捉える。

ヴィジュアルコミュニケーションに用いる写真は、写真家が撮影する表現としての写真でも、家族や友人と過ごす日々を個人的な記録するための写真でもなく、私という膜の外側に存在する、他者という膜の内側に情報を伝達するために撮影する写真であり、何よりもインスタントなわかりやすさが求められるため、他者の内に既に存在する記号的なイメージ、他者の言わば「正しい見え方」を自らの中で掴まなければならない。日常的に撮影者となった私たちは、他者の双眼の網膜、「正しい見え方」を自らの双眼の網膜に折り重ねながら、世界にまなざしを向けている。

《coagulated membrane》という立体のシリーズは、SNSに投稿されている無数のヴィジュアルコミュニケーションのための写真で被写体となっているものをモチーフにした3DCGモデルを、撮影されてきた「正しい見え方」のみが保持されるようにしつつ、形状を歪めるシミュレーションの結果である。この時保持された「正しい見え方」の写真が対となる《peeled membrane》である。このシミュレーションでは、カメラで撮影する際に「正しい見え方」が現れるようになっているため、肉眼では完全に捉えることができない。
これにより、ヴィジュアルコミュニケーションの「正しい見え方」の平面的な特性が抽出されるとともに、「正しい見え方」が《coagulated membrane》に保たれているということを鑑賞者が認識するためには、それ以外の無数の歪められた「誤った見え方」の存在が必要不可欠であるという事実が浮上する。
「誤った見え方」自体が伝えるべき「正しい見え方」へと変化し、鑑賞者の内側へとまた還元されていく。これらの運動は、撮影者、鑑賞者へ互いに入れ替わりを繰り返しながらヴィジュアルコミュニケーションを行う私たちの中に働き続け、常に相互にイメージの膜を織り続ける運動となり、私たちの内側と外側で入れ子のようになりながら、時に反転し、時に癒着しながらも、流動的に変化を続ける。

加速し続け、氾濫を続けるヴィジュアルコミュニケーションの中で、私たちが逃れることができないイメージの膜、私たちの膜と、その内外を捉え直すことで、ただ流されることのないように、一度立ち止まり思考するための足場となることを本展は試みる。